日本語で文章を書いてみようと思います。
2010
「ドーナツの穴の消失」への回答の一つとして「食べられたあと、概念が消失する」というものがある。これは一見すると、一つの回答のように見えるが、これには重大な欠陥がある。
概念を問題とするのであれば、前提も概念によって示す必要がある。
「ドーナツとその穴」が語られる時、それぞれに「ドーナツ」「ドーナツの穴」という、それぞれ違った名称を与えられている。
しかし、概念上は実際には相互依存(片方が片方を補う関係)でしかない。ドーナツが存在しなければ、ドーナツの穴は存在せず、ドーナツの穴なしにドーナツは存在しない。「ドーナツの穴が”どこへ行ったか”」を問題とするなら、概念の問題として片付けるには、無理がある。
問いに答えるには、ドーナツが食べられても穴は存在し続ける、という前提を認め無ければならない。
というようなことをレムの架空書評をヒントに書いてみたけど、この問いがそもそも不当すぎる。
穴を問題にするなら「穴がなぜ知られているか」から分析する必要があるのに、直感的に得た「ドーナツの中心に見える何か」とかよくわからない情報から切り口をいれてる。
直感的に得られた主観的内容に「ドーナツの穴」という名前をつけて、それがどこへ行ったかと問えば、「概念が消失した」としか答えようがない。(実際には答えになってないけど)
体感的に「神は存在するか」を議論するか並みに不当。
「ドーナツの穴の実在性」から初めて「ドーナツの穴は世界のどこに移動したか」という問題に移行しないと、回答にならない。

概念を問題とするのであれば、前提も概念によって示す必要がある。
「ドーナツとその穴」が語られる時、それぞれに「ドーナツ」「ドーナツの穴」という、それぞれ違った名称を与えられている。
しかし、概念上は実際には相互依存(片方が片方を補う関係)でしかない。ドーナツが存在しなければ、ドーナツの穴は存在せず、ドーナツの穴なしにドーナツは存在しない。「ドーナツの穴が”どこへ行ったか”」を問題とするなら、概念の問題として片付けるには、無理がある。
問いに答えるには、ドーナツが食べられても穴は存在し続ける、という前提を認め無ければならない。
というようなことをレムの架空書評をヒントに書いてみたけど、この問いがそもそも不当すぎる。
穴を問題にするなら「穴がなぜ知られているか」から分析する必要があるのに、直感的に得た「ドーナツの中心に見える何か」とかよくわからない情報から切り口をいれてる。
直感的に得られた主観的内容に「ドーナツの穴」という名前をつけて、それがどこへ行ったかと問えば、「概念が消失した」としか答えようがない。(実際には答えになってないけど)
体感的に「神は存在するか」を議論するか並みに不当。
「ドーナツの穴の実在性」から初めて「ドーナツの穴は世界のどこに移動したか」という問題に移行しないと、回答にならない。
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もうすぐ五回生への進路が開けようとする三回生。