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日本語で文章を書いてみようと思います。

2026

0611
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2010

1004
 鬱ゲーというものがある。泣きげーと区別すべきかという議論もあるが、とりあえず、ここでは鬱ゲーなるものがあったとして、それはどういう特性を持っているか、について「悲劇」というキーワードを底辺において述べたい。
 鬱ゲーの基本的な要素は悲劇から引き継いでいるものだと思われる。ここでいう悲劇とは「繁栄から没落へ」という退廃的な象徴を扱う作品のことを言うが、鬱ゲーにはその構造が色濃く残っている。
 悲劇で扱われる退廃といっても、神をモチーフにしたものから、一家をモチーフにしたものまである。それらは一概にいうことはできない。しかし、それらの物語上に現われている「繁栄から没落へ」という構図は一般化できるものであろう。
 たとえば「山猫」における貴族の繁栄と没落。品位のある者たちだけが集って行われた食事会、様々な土地から集まった名士だけが集う舞踏会、そんな、今では夢となったような日常を送っていた老人。そんな彼が、最後にはみすぼらしい姿となって、無人の石畳の道をとぼとぼと歩く姿は、「繁栄から没落へ」という構図を端的に表しているのではないだろうか。
 このような、テンプレート的な展開は、他に様々なバリエーションが存在する。自然に笑いが沸き上がる暖かい家庭が、母の病をきっかけに崩壊していく話。誠意を尽くして、嫁を支えていた夫が、不倫によって裏切られる話。
 鬱ゲーもまた、日常パートの家庭的な様子、彼女との幸せな日々、それらが見ず知らずの集団によって「奪い取られ」たり、友人や家族による「裏切り」によって成立する。このように、鬱ゲーは悲劇と同様な性質を持っていると言える。
 次回は鬱ゲーの中核は何によって形成されているか云々について書くかも不知火
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